はじめに 岡崎と丸岡は
**つながり
公式に縁と
ゆかりのある町
こんな市、
町です
どうやって
行くの
関連リンク
参考文献
1998/5/20
開設
HOME>岡崎と丸岡は**つながり>4.蓮如上人・浄土真宗・一向一揆

岡崎と丸岡は
**つながり

1.一筆啓上火の用心・・

2.五万石の城下町・
  守護神がいる城

3.花見の名所

4.蓮如上人・浄土真宗・
  一向一揆

5.新田義貞

6.繁華街から遠いJR駅

7.高速道路IC

8.丸岡橋











[ 前のページへ | 次のページへ ]

**つながり

崎市
愛知県(西三河)


福井県坂井市

4-1
蓮如上人

浄土真宗

蓮如は本願寺の本寺であった比叡山の妬みをかい、大津に難を避け、ついで三河の布教に努め文明2年(1470)まで滞在しました。

蓮如の布教で本願寺系に改派した上宮寺(上佐々木町)、勝鬘寺(針崎町)、本證寺(安城市野寺町)の本願寺派三河三か寺や、一家衆寺院(法主一族が住持)本宗寺(福岡町)が創建され、現在も浄土真宗の信者が多い。

蓮如は三河布教の後北陸の布教に努めました。文明3年(1471)に坊舎・吉崎御坊(隣の金津町) を開き4年間北陸布教の根拠地としました。

北陸地方は「真宗王国」とも呼ばれており、現在も浄土真宗の信者が多い。

4-2
一向一揆

永禄6年(1563)に家康の家臣が守護不入の上宮寺(上佐々木町)から米を徴収したことに端を発し、三河一向一揆が起きた。

一向衆は勝鬘寺(針崎町)、土呂殿本宗寺(福岡町)、本證寺(安城市野寺町)を拠点に家康を苦しめた。

馬頭原の戦の後、家康の本陣が置かれていた浄珠院(上和田町)で和議が成立した。

この地方の一向一揆に対し天正3年(1575)織田信長は柴田勝家に一揆の拠点豊原寺(現市街地から東へ5km、当時は一帯に講堂・坊舎が並び立ち、豊原三千坊として白山平泉寺と並称されていた。)を攻めさせ全山灰燼に帰した。

同年、一揆討伐の軍功により、北ノ庄(福井)城主になった柴田勝家は、甥の勝豊をこの地の領主(丸岡城初代城主)とした。



ページトップへ戻る