この作品は、かつて「西三田ヶ入」に住んでいた太田裕子さんが書かれたもので、
1994年「第11回主婦の友ドキュメンタリー大賞」入選作品です。
ご本人の了承が得られましたので、掲載させていただきます。
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みんなが愛していた森がある日突然伐採された

森が死んだ

カブト虫の宝庫であり、子供たちが自然とふれあう場だった森、「てっか」が伐採されたときの子供たちの衝撃。
何もしてやれなかった親の悔いと憤り。
今後何ができるか・・・・・・

・愛知県 太田 裕子


 森が死んだ。

 1993年10月23日、「てっか」が、死んだ。

 ●

我が家は登り坂の途中にある。その坂を登りきった所にある森を、子供達は、「てっか」と呼んでいた。なぜそう呼ばれるのか、いつからそう呼ばれろようになったのか、誰も知らない。その森の裏側の町内の子供は、この森を「はげ山」と言う。森なのに「はげ山」と呼ぶのもおかしい。だけど、近所の子は断然「てっか」と呼んでいた。そして、この森を、こよなく愛していた。「てっか」は昼でも、うっそうと暗い。松の木がたくさんあり、所々にくぬぎの木がある。落ち葉は自然のままに腐葉土となり、土を覆っていた。そこはカブト虫とクワガタ虫の宝庫だった。どんどん緑が失われていくこの頃、虫にとっても子供にとっても、貴重な環境だった。

 子供社会の中にもクチコミというのがちゃんとあって、夏になると、息子の通っている岡崎小学校の子以外にも、二つの小学校の子が自転車に乗って、虫を採りにやって来た。

 我が家の長男、翔(かける)は、四年生。頭は悪くはないと思うが、ほとんど『イソノカツオ』のような暮らしをしている。この子が「てっか」に通い出したのは四年前。以前から自然に親しむタイプの子で、青虫や、かいこを飼ったことがある。何度も脱皮し蝶になったり、まゆを作ったりするのを観察するのが大好きだった。この子が一年生の時、近所のニつ年上の悟史君に連れて行ってもらったのが、初めてだったと思う。悟史君は、運動神経抜群で頭もよく、子供達には一目おかれていた存在だ。初めの一年目は、採り方と、虫の習性もわからず、昼間見に行くのであまり見つけられず、たまに捕まえてくると、なぶりすぎて弱らせてしまう状態だった。


現在の「てっか」に集まった子供たちと太田さん(後列中央)。左端手前が
長男の翔君、右端が年上の悟史君、太田さんの前が長女のあゆみちゃん。

 次の年、一年成長した翔は、まだ日の昇らない早朝か、夜遅く採りに行くと、たくさん採れることを知った。長男のせいかとても臆病て、夜トイレに行くにも泣いてしまうような子が、虫のこととなれば、暗闇の中、懐中電灯を持って、一人でも出かけて行った。

 この年は、早朝・午前中・午後・夜と、一日四回「てっか」に行くほど、夢中になっていた。もちろん夏休みの宿題の、絵も作文も、全部クワガタとカブトのことだった。

 クワガタにはいろいろな種類がある。子供達は、コクウとかヒラタとかミヤマとか呼んで、ちゃんと見分けがついていたようだった。何度か説明を聞いたが、私にはメスとオスの区別がやっとつくくらいで、どう違うかさっぱりわからない。

 最初のころ、エサは、すいかの皮とか、果物をやっていた。ある時、カブト虫専用のゼリーを売っていることをどこからか聞いてきた。これをエサにすると、小さな虫も寄らず、日もちがして、とても調子がいいのだ。遊び仲間の中に、このゼリーを食べてみる勇気のある子がいた。その子いわく「自分達が食べるポックンゼリーと同じ味だ」と、言う。だったら、そっちの方が安いし、どこにでも売っている。私は、頼まれて、スーパーでポックンゼリーを買ってきた。子供は、自分で食べることなど全く考えず、せっせと虫にやっていた。

 次々採ってくるので、二十匹以上はいたと思う。飼育カゴでは狭すぎて、じいちやんに衣装ケースの蓋にドリルでたくさん穴を開けてもらい、そこに腐葉土をたっぷり入れて飼っていた。キャスター付ですごく便利だ。

 ひと夏飼って虫は死んでいき、死骸と腐葉土を庭に戻し、飼育カゴを掃除した。

 そして次の年、やはり悟史君から、カブトはひと夏で死ぬが、クワガタは上手に飼えば成虫のまま冬を越すことを聞いてきた。「そんなはずないよ」と、何も知らない私は、信用しなかったが、「悟史君の家では、冬でもクワガタが生きていた」と、言い張る。そんなことってあるだろうか。「てっか」とつきあいだして三年目の翔は、もう必要以上に虫を採ってくることはしなくなった。そのかわり「上手に飼って、カブトは卵を産ませ、来年成虫になるまで育てる。クワガタは越冬させる」と、宣言した。そして、そのとおり一生懸命面倒を見た。


けさ、てっかでクワガタを4匹つかまえた。
女の子もいつの間にか虫好きになり、よく世話をする。

 カブトが死んだあと、土を調べ、卵を拾い出す。白い丸い卵だ。フカフカの腐葉土の中に、間隔をあげて一つずつ埋めた。

 クワガタはどうだろう。生きている!やはり子供の情報は確かだった。別の飼育カゴにクワガタだけを移し、エサをやった。冬場はじっとしているし、エサもほとんど食べない。たまに土を湿らせるのを忘れないようにした。

 カブトはやがて幼虫になり、ちゃんとウンチもしている。成長を確かめ、ウンチのいっぱい混ざった土を、きれいな腐葉土ととりかえた。幼虫は透き通ったような白い色で、太って大きくて、プチンとはぜてしまいそうなくらい元気だ。手のひらにのせて記念写真も撮る。

 カブトは六月頃、自力で空洞を作り、その中でさなぎになった。もうこうなったら、かまってはいけない。成虫になるのを待つのみ。

 ある日、のぞいて見たら、腐葉土の上に黒光りしたカブト。かえったのだ。

 「やった。やった」と、子供達は抱き合い飛び上がって喜んだ。

 親の私は、次々と変化を見せてくれるカブトに感動して、自分が男の子を授かったことにも本当に感謝した。子供が娘ばかりだったら、こんな経験は一生できなかっただろう。そして、近所にこんな環境があることにも、心から感謝した。

 一方、翔は、クワガタの方が好きだと言う。カブトは成虫になっても、その夏で死んでしまうからだ。デパートでも、クワガタの方が高い値段がついている。クワガタの方がなんとなく地味な気がするし、デパートで虫を買う子が、はたしてクワガタが成虫で年を越すことを知っているだろうか。私は、そんなことが気になる。


「てっか」の名前は、裏側がはげ山(てっかてか)であることに由来。

 夏になると、いつものように子供達が家の前の坂を登ってやって来る。

 近所の子供は「てっか」を自分達の森だと思っている。だけど、子供達にとってよそ者の、他の町内や他の学校の子が来ても別に意地悪くするわけでもない。それでもちょっと気にくわないようで、よその子が帰るまでは、「てっか」には入らない。見て見ぬふりをして別の所で遊んでいる。そして、よその子が来れないような暗い時、出かけていって、しっかり収穫をあげてくる。みんな自分達の森だと自負をもち、決して荒らしたりせず、誰よりも大切に、ちゃんと森とつきあってきた。

 ところが、平成四年十月十七日、衝撃的なニュースが耳に入った。

 明日、「てっか」の木が全部伐採されるというのだ。

 「えーっ。どうして?」。目の前がまっ暗になる。理由は、ヤブ蚊が多いだの、落ち葉が庭に落ちるだのと、近所から苦情が出たとのこと。「そんなことってある?」。これが、男の子を持つ母親の共通した思いだった。

 子供達はもちろん、すごいショックを受けた。そんな理由では、子供心にも納得がいかない。親の私達も正確な情報が入ってこない限り、慰めようもない。

 子供達は、なんとか「てっか」を守ろうと相談を始めた。

 明日の朝早くから「てっか」の前に座り込みをしよう。みんなで腕を組んで、とうせんぼをしよう。自転車に乗る時使うヘルメットをかぶってプラカードを持って・・・・・

 しかし、私達大人が自分達の常識でそれを思いとどまらせてしまった。なんといっても他人の土地だ。今まで好きなだけ遊ばせてもらって感謝するならともかく、とやかく言う権利など何もないはずだと。


10月18日、伐採されることがわかった翌日、「てっか」の前に
みんな集まり最後の記念写真

 とりあえず次の日朝早く「てっか」の前に集合して、最後の記念写真を撮ることになった。

 明けて朝、悟史君を初め、男の子五人、女の子三人が集まった。子供達、記念写真といってもうれしい顔などできるはずがない。暗い顔のオンパレードになってしまった。

 もう、今日機械が入ってしまえば、この森はなくなる。翔とおない年の純君が、いきなり「てっか」に入って木に登りアケビを取ってきた。まだ青い。特っていたぺーパーナイフで、無理矢理割つてみる。中は白くて、とても食べられない。

 この子は小さい頃からこういうことのできる子だった。無ロでのんびりしているが、よく畑から大根を抜いてきて、生のままかじっては、「甘い」と、言っていた。みんな、この自然の恵みの中で暮らし、大きくなってきたのだ。

 この近所でも、昨日まで畑だった土地が、どんどん開発されて、駐車場になったり、家が建ったりしている。我が家も、一面のコスモスの土地に家を建てた。こういうことは仕方のないことのような気がしてはいたけれど、「てっか」だけはいつまでも変わらず、このままあって、子供達が代々ここで虫を採り、遊べるような錯覚をしていた。

 「てっか」伐採のニュースは、純君のおじいちゃんから聞いた。おじいちゃんは、だいぶ耳が遠い。九時近くなっても、機械は来なかった。日曜日だから来ないのか、それとも、おじいちやんの聞き違いか。そうだったらどんなにいいか。とうとうその日は、何も起こらなかった。

 しかし、次の日、朝早くから、ガーガー、ガーガー、黄色い巨体が無遠慮にこの坂を登って来た。そして、「てっか」のずっと下の空き地の方から入り込み、順々に上に作業を進めていった。

 最初伐採にとりかかった林には、これといって虫はいない。木が少なくて日が入りすぎるのか、くぬぎの木がないのか。

 いつ「てっか」にとりかかるのか気が気でなく、毎日毎日作業を見た。

 忘れもしない十月二十三日。子供達は遠足で、お弁当を持ち、心躍らせて登校していったまさにその日、とうとうショベルカーは、「てっか」にとりかかった。

 べキベキベキ。バリバリバリ。

 耳をおおいたくなる音。木の悲鳴が聞こえてくる。胸の中に、あの巨体が入ってきて、体じゅうを太いつめでかきむしられているような思いがする。カブトやクワガタよ・・・・・・この森だけは、せめて残しておいてほしかった。

 一日中、機械の音が山に響いている。

 娘のあゆみが先に帰ってきた。「てっかが切られているよ。見に行く?」と言うと、顔色を変えて「うん」とうなずいた。行く途中、どちらからともなく手をつないだ。お互い同じ気持ちだということが、よくわかった。

 目の前で木が切られていく。二人とも無言で動く機械を見つめていた。

 焼きつけておこう。辛いけれど。この景色を。

 大好きだった、緑したたる「てっか」も決して忘れない。そして、「てっか」の、この死にざまを絶対忘れないでおこう。

 しばらくニ人で、機械をにらみつけて立っていた。そして、黙って家に帰った。

 あゆみは一人、部屋の隅でお人形遊び、私は洗濯物を黙々とたたむ。

 少しすると、ガラガラ。玄関が開いた。見ると翔がボロボロ涙を流して立っていた。

 一瞬、意味がわからなかった。だって、この頃は、けんかをしても、かなりのケガをしても、もう泣かない子が泣いているのだ。

 「どうしたの?何かあったの?」

 顔を私の胸に押しつけて、声を出して泣きだした。

 「てっかが・・・・!」その日に限ってこの子は、いつもの通学路を通らず、大回りして帰ってきたのだ。「虫の知らせ」という言葉がある。この子が生命の奥深いところで、どれほど「てっか」と強く結びついていたか、私は思い知らされた。

 いきなり惨い現場を見てしまった。翔の気持ちを想像すると、胸のつぶれる思い。翔の涙を手でぬぐいながら、私もワーワー泣いた。

 二階からばあちやんが降りてきて、

 「翔、ばあちやん今日てっか見てないから、一緒に見に行こうか」と、言ってくれた。

 翔は、「いやだ!もう見たくない!あんな奴、死んでしまえばいいんだ!」と、泣き叫んだ。

 またよけいに泣けてきた。二人でワーワー泣いた。

 泣くだけ泣いて、少し落ち着いた。作業のおじさん達が帰ったら、暗くならないうちに一度だけ行ってみよう。そして、なんでもいいから、思い出に残るものをとってこようということになった。

 じきに作業員の人は、帰っていった。

 翔とあゆみと私は、長靴をはき、軍手をして、シャベルを持って走った。ばあちやんも次女のはるかをおんぶしてついて来た。途中、近所のおじさんの畑のあぜに咲いているコスモスを、少し切ってもらった。

 木という木は、ほとんど切り倒されている。上の方の数本が残されているだけだ。切り株が生々しい。一番手前の太い木の幹に、コスモスの花束を捧げた。あゆみが、

 「どうして?」と、聞く。

 「森のお葬式だからよ」と、答えた。

 あんなにこんもりした森だったのに、木が倒れてしまうと結構狭い。以前なら、どこらへんにカブトやクワガタのいる木があるって、暗闇の中でもわかるくらい、知り尽くしていたのに、全く見当がつかなくなってしまった。

 「翔、どこらへんなの。どこにくぬぎがあったの」。大声で叫びながら、倒れた木を乗り越え乗り越え中に入っていった。

 なんでもいい。何か生きていて!今いるとしたら、カブトの幼虫か、クワガタの成虫か・・・!

 ここでもない。ここにも何もない。もうすぐ日が暮れてしまう。翔も私も気が狂ったように、シャベルで落ち葉をかき分けた。

 深く湿った腐葉土の下に、見覚えのある白い幼虫。

 「見つけたよ、翔!」と、叫ぶと、翔はとんで来た。そうっと掘り出し、入れ物に入れる。続けてすぐそばに、もう一匹。もうそれ以上は、いくら探しても見つからなかった。本当は、もっともっといるはずなのに。あゆみは、押し花みたいにして葉っぱをとっておくと言い、アケビの葉を数枚手に持っていた。

 本当に暗くなるまで、みんなで「てっか」にいた。

 考えてみると、私が「てっか」に足を踏み入れたのは、この日が最初で最後だった。

 夕食の時間になっても帰ってこない翔を呼びに、森の入口まで行ったことは何度もあったけれど。別に誰かに言われたわけでもないが、母親の私がそこに入ってはいけないような気がしていた。そこは男の子だけの、神聖なる場所だと思っていた。

 しかし、山の向こう側の子達が、そう呼んでいたように、神聖なる森は、ただの「はげ山」に姿を変えてしまった。

 人間はいつから、こんなにえらくなったのだろう。人間は、地球の支配者になってしまった。支配者の都合どおりにならないものは、すべて葬り去られていく。

 昔むかしは、生き物が自然のままに生きていた。そこに私達人間が入り込んできて、間借りしているのだ。暮らしていく以上、何かが必ず犠牲になっている。その犠牲に対して申しわけないという気持ちを失ってはいけない。

 我が家の小さな庭に、みかんときんかんの木がある。毎年若葉の萌える頃、若葉を食い荒らし、木を丸坊主にしてしまう犯人がいる。イモ虫達だ。若葉をみんな食べてしまうから、「今年も実がならない」と母は、毎年嘆いている。でも私は素知らぬ顔を決めている。

 こんな日当たりのよくない、やせたみかんに卵を産みに、蝶がヒラヒラ美しい姿を見せてくれる。窓を開ければ自然の営みが目に入ってくる。なんとぜいたくなことだろう。

 今年の春は、若葉の頃を過ぎてもイモ虫は一匹もつかなかった。葉が濃い緑になっても、虫食い葉は一枚もなかった。心配して毎日見ていた。殺虫剤だってまかずに、イモ虫が出るのを待っていたのに。

 もう夏になってしまってから、今度はうじゃうじゃイモ虫がついた。春先の低温で、春アゲハは成育しなかったのだ。そのかわり、夏アゲハは大発生した。うれしくてうれしくて、翔は夏休みの自由研究をアゲハにした。「キアゲハとクロアゲハの違い」。アゲハの幼虫を怒らせると、角を出し、すごく臭いにおいを出すのは有名だ。クロアゲハは、その角が赤くて長い。においもずっと強烈だった。そういうことを知るだけで、とても幸せな気がした。

 ほんのわずかな土地だけど、我が家のこの庭に来る生き物、棲む生き物、なんとか大切になかよく暮らしていきたい。「てっか」と我が家の庭では、次元が違うことはわかっているけれど、せめて私のできること、できる不便は我慢して。

 実は、「てっか」の伐採については、私達の無知と、日にち的不運が重なっていた。

 この近辺は岡崎南公園に隣接していて、風致地区に指定されている。風致地区の中にある雑木林は、いくらそれが私有地でも、県の条例により、許可なしでは木一本たりとも切ってはいけないことが定められていたのだ。しかし、誰もそのことを知る人はいなかった。

 主人に「てっか」の話をしたところ「このあたりは風致地区に入っているはずだから、何か規定があるかも知れない。それを調べてみたら」と、教えてくれた。ところが、「てっか」伐採のニュースを聞いたのが十月十七日。すぐに知り合いの人に頼んで、事情を調べていただいた。役所のあちこちに調べにまわってくださった結果、先にかいたような条例があることと、「てっか」はやはり宅地化するとかの目的は全くなしで無許可で伐採されたことが判明した。

 それを知っても今となってはあとの祭りという以外にない。「なぜ、地主に直訴に行かなかったのか」と言ってくださったかたもあった。でもあの時は、そんなことが通るとは思っていなかった。

 無許可で伐採した森は、もとの形に戻すよう条例では求められている。植栽をせよということである。しかし、地主さんにしてみれば、苦情が出て、風致地区の規定内容を知らずに木を伐採したが、その費用も自分持ち、植栽も自分持ちとなれば、思いがけない大きな出費である。いついつまでに必ずもとどおりに直すように、という厳しいきまりではないようで、今でも「てっか」はそのままの状態に放置されている。私は、力も知識も足りない一主婦ではあるけれど、このところずっと考え続けてきた。この大きな経験を無駄にしないため、何かできはしないだろうか。

 一つには、岡崎南公園の松の森の中にくぬぎの木を植え、虫の棲める条件づくりをするよう、市当局に要望を出すこと。

 二つ目は、やはり「てっか」をもとどおりの虫の宝庫にするために、何か行動をとっていこうということ。

 二つ目の案には、結構クリアしなければならないことがある。「てっか」を愛する人達の連帯、苦情を出した人達への配慮、地主さんへの交渉。すぐにことは運ばないかも知れないが、私がこの土地に住んだ、そして、この土地を愛した証として、一生懸命働いてみようと思う。

 「てっか」があった。もちろん虫の生態に詳しくなった。生き物を飼うことで、やさしい心も育めた。

 今では機会が失われつつある、子供達の縦型社会も、「てっか」のおかげで健在だった。上の子は下の子の面倒を見、下の子は上の子について何でも吸収していった。

 それだけではない。何か言葉には言い尽くせない大事なものを、「てっか」は私達の生命の中に落としてくれた。親は、小さい頃、大きくなったら農業をやりたいと言っていた。今でも、何か生き物、植物や虫、動物にかかわる仕事がしたいと考えているようだ。

 「てっか、ありがとう」

 「てっかてっか!本当にありがとう」

 この森が、いつまでも、みんなの心に生きていますように!

 そして、みんなに愛されている森が、これ以上なくなりませんように!

 「てっか」が必ず蘇りますように!

 


あとがき

 子供達は、今、木のなくなった「てっか」で、新しい遊び方で遊んでいる。


伐採されたあとみんなで埋めたどんぐり
の実が芽生え、愛らしい苗に。
その生命力に親も子も感動した。

 くぬぎの実をたくさん拾ったので、それを、そのまま地中に埋めたり、南公園の林の中に埋めに行ったりも、している。

 どんぐりは、落ちているだけでは木にならない。雨にあたり、日にあたりして、割れて傷つきダメになってしまうからだ。重くてしっかりしたどんぐりが、土に埋もった時、初めて芽が出る。その芽の、何十分の一かが、木になる。

 あとニ十年、この子達が、親になった時、自分達の子を、また「てっか」で遊ばせてやれる、そんな森に成長していると本当にいいと思う。

 その日を楽しみにしつつ・・・・・

 



8年の歳月が流れ、かなり昔の姿を取り戻しつつある現在の「てっか」(2000.8.6撮影)

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