市政だより*おかざき 1993年(平成5年)6月1日より <戻る> ふるきをたずねて・・・温故知新南 公 園休日にはたくさんの親子連れでにぎわう南公園。
戦前の南公園は、野球場として使われ、確か観覧席もあったはずです。小さいころ父親に連れられて見に行った記憶があります。その時は野球でなく、ホッケーの試合だったような気がします。いろいろな競技に利用されていたようですね。 戦時中は、食糧増産のため小学生が開墾してイモ畑となっていました。また、空襲に備えて防空壕が、今は観覧車がある高台のがけに掘られていました。実際、昭和20年7月の岡崎空襲では、今の日清紡績の針崎工場、当時は飛行機を作っていた工場が狙われ、この辺りまで焼夷弾が落ちてきたそうです。
戦後は、一時期自動車学校の敷地になっていたことがありました。昭和20年代の後半から昭和35年ごろまででしょうか。現在、不吹町にある県の自動車学校の前身です。そのころ私は、農協に勤めていました。農協では農家の方たちに耕運機の運転免許を取るように勧めていて,集団で講習を受けに行ったこともありました。試験官に「乳母車ではないんだから、もっと早く走れ」なんて言われたものです。まだそのころは、四輪車が珍しいころでした。私自身も、ここでスクーターの免許を取りました。 南公園には二つの農業用のため池があります。農業用水が必要でない冬に、農協の若い職員と一緒に池の水を抜いて魚を捕まえたことがあります。フナとかコイとかをたくさん捕まえました。楽しい思い出です。今では魚釣りが禁止されていますので,貴重な体験ですね。また,いつ頃のことかはっきりしませんが,近所のお年寄りから闘鶏場があったという話を聞きました。 県の自動車学校が今の不吹町に移転してから、公園が今のように整備されてきました。プールや交通公園ができたころから大変にぎわうようになりましたな。管理協会の人たちも常駐し、手入れも行き届いています。近所のお年寄りたちは、公園の散歩を楽しみにしていますよ。なかには、公園を一周しないと朝食を食べられないという方もいらっしゃいます。 ただ、問題もないわけではありません。休日には梅林や芝生公園周辺の道路は、車がずらっと止まりすれ違いができないほどです。「道が狭いので駐車しないでください」という看板があるのにですよ。もっとマナーを守ってほしいものです。 |